本殿

 天正5年(1577)武田勝頼が三枚橋城を築城の際、城地守護のため稲荷天神社を城内に祭り、その後廃城となったが神社は存在した。その後、安永6年(1777)水野出羽守が沼津城を新たに築城の際、城内に水野家守護の稲荷社を勧請したため、稲荷天神社を上土裏通り旧城址の古堀跡に移した。明治4年(1871)当時には、六軒町にあったが、明治18年(1885)に八幡町の八幡神社内に遷座された。その後、現在地に鎮座された。

上土朝日稲荷神社社殿

上土朝日稲荷神社由緒