桜川に突き出た白瀧観音堂
観音堂内陣 <厨子は閉じられている>
三島の水 <富士の雪解け水>
三島水辺の文学碑標柱
桜川
観世音菩薩碑
富士の白雪の碑
桜川標柱
平井源太郎の書で 「富士の白雪 朝日に溶けて 三島女臈衆の化粧水」 と刻まれている
農兵節の起源には諸説あるが、石碑の傍らの解説によると幕末、韮山代官の江川英龍(坦庵公)が三島で洋式農兵調練を行った際に、長崎伝習から帰った家臣・柏木総蔵が伝えたメロディーが坦庵公の耳にとまり、行進曲として唄い始められ、三島宿の人々が当時唄っていた田草取歌が盆踊り歌に発展し、その後尻取り歌
「ノーエ節」 として流行したという.