富士川に向かって全長2.7kmにおよぶL字型の長堤
松崎鉄之介句碑
護所神社由緒
古郡孫太夫重政公父子の偉業雁堤の築造は、繰り返す富士川の洪水で、しばしば決壊流失の惨害を蒙るため、衆人は人柱の説をとり千人目の旅人を生きながら護岸の人柱とすることに決めた。千人目に当たった旅僧はこれを快諾し、従容として人柱と化した。以来三百余年の今日まで遂に堤防の決壊を見ず、住民はその徳を慕い「護所神社」としてその霊を祭っている。
人の世に命をささげし人柱 今に佇えて富士のカリかね
護所神社社殿
加島新田開発 古郡重高・重政・重年 築堤
雁堤碑
雁堤人柱之碑
護所神社社標
古郡氏三代の偉業を称える碑
人柱供養塔
秋富士へ 雁堤 つばさ張る
昭和9年に建立され、千人目の僧侶が人柱になったことが刻まれている
雁堤築造と加嶋新田開発に尽くした古郡文右衛門重年公の没後300年を記念して建立した
護所神社の由緒が刻まれている
雁堤解説