西詰の地蔵堂
池田屋騒動の刀傷が残る擬宝珠
擬宝珠に刻まれた三条大橋由緒
三条大橋 (東詰から)
弥次喜多像
三条大橋 (西詰から)
三条大橋は、明治45年三条通拡張のとき幅員を倍加して14.5mに、橋長は101mに、橋脚はコンクリート造としたが、橋面は従来の風格をもつ木造橋であった。
たまたま昭和10年6月の洪水にあい、橋の一部と擬宝珠一個を流失、この水害に鑑み鴨川を改修し、川底を深くしたので、天正以来の改修で、礎石は取り除かれた。
重ねて今回この橋の改築に際し、橋を鴨川と疎水の二部に分け、橋長は鴨川部74.03m、疎水部16.97m、幅員はいづれも15.5mとし、橋面構境コンクリート床版として架け替え、この擬宝珠も新に追補した。
昭和25年1月 京都市