寛政3年3月15日 恐れみ畏れみ恪み謹みてよめる 正之

われをわれと しろしめすぞや 皇(すめろぎ)の 玉の御声の かゝる嬉しさ

江戸時代、ここ三条大橋は東海道五十三次の起終点にあたり、往時の都の出入口であった。 今ここにある銅像は、高山彦九郎正之(1747年~1793年)の姿を写したものである。
高山彦九郎は、群馬県の出身である。18歳の時以来、前後5回、上洛したが、京都に出入する折には、この銅像の姿のように、京都御所に向かって拝礼した。
その姿は
  大御門(おおみかど)その方(かた)向きて橋の上に
  頂根(うなね)突きけむ真心たふと
                 橘 曙覧(たちばな あけみ)
と和歌に詠まれた。
明治維新を成就した勤皇の志士達は、彦九郎を心の鑑と仰いだと言われる。
後、明治の中頃の俚謡、サノサ節には、
     人は武士 気概は高山彦九郎
     京の三条の橋の上
     遥かに皇居をネ伏し拝み
     落つる涙は鴨の水アサノサ
と謡いつがれた。

京都市観光部振興課 高山彦九郎大人 顕彰会寄贈

高山彦九郎歌碑

高山彦九郎説明

京都御所に向かって拝礼する高山彦九郎像

高山彦九郎正之先生御直筆歌碑標柱

高山彦九郎先生皇居望拝之跡碑