三千院、妙法院と並ぶ天台宗三門跡の一つで、天明の大火(1788)の際に仮の御所となったことから、粟田御所とも呼ばれる。
 最澄(伝教大師)が比叡山に建てた僧侶の住居の一つ「青蓮坊」に始まるとされ、平安時代末期の行玄のときに三条白川(現在地のやや北西)に移り、鳥羽法皇の第七皇子が行玄の弟子として入寺して以来、皇族や摂関家の子弟が門主(住職)を務める「門跡寺院」となった。
 歴代門主のうち、三代の慈円は歴史書「愚管抄」の著者として有名で、十七代の尊円入道親王は和風と唐風を融合した青蓮院流(のちの御家流)と呼ばれる書風で知られる名筆家であった。
 境内全域が国の史跡に指定されており、粟田山の山裾を利用した庭園は、龍心池を中心として優美な池泉回遊式庭園で、主庭は相阿弥の、霧島の庭は小堀遠州の作と伝えられている。また、神宮道沿いの門前には、この寺で出家した親鸞聖人のお手植えと伝わる巨大な五本の楠がある。寺宝として、青黒く描かれていることから「青不動」の名で知られる「不動明王二童子画像」をはじめ、多数の文化財を蔵する。円山公園東の山頂に、飛び地の境内である将軍塚大日堂を擁し、そこからの京都市街の眺めは格別である。

親鸞聖人お手植えと伝わるクスノキ

四脚門脇のクスノキ

クスノキ解説

青蓮院解説

 このクスノキは、青蓮院の築地の上に四本、さらに境内の庭園内に一本が生育している。
 樹高は最大のもので26.1mに達する。いずれも幹から大枝を伸ばし、クスノキに特徴的な半球形のこんもりとしたみごとな樹冠を形成し、樹勢も良好である。
 12世紀末に親鸞聖人が植えたと伝えられているが、クスノキが現在の境内の地割に沿って生育していることから、青蓮院が現地へ移転した12世紀以降に植栽されたものと考えられる。
 樹勢が旺盛で、樹形も優れているだけでなく、円山公園から平安神宮に続く神宮道の中で青蓮院を含む地域の景観要素となっている大木として貴重なものである。

植髪堂

四脚門

山門 (薬医門)

親鸞聖人お手植えと伝わるクスノキ

長屋門