本社の祭神は、初め天児屋根命と天太玉命であり、上古にこの二柱の神が禁裏御料地の山階郷柳山に降臨座されたので、楊柳大明神と奉称した。そもそも、この二柱の神は天孫降臨時に左右を補佐した神であるところから、両羽大明神とも称し奉った。
人皇第56代清和天皇の御代の貞観4年(862)に禁裏御所により社殿が造営され、両羽大明神と唱え給い、裏山の名も両羽山と称するに至った。
中古の後柏原天皇の御代の永正年間より中央に八幡宮、左に伊弉諾命を、右に素戔嗚命及び若宮八幡宮を配し、以上六柱を合祀した。
よって両羽の文字を諸羽と称する。
往古の社殿は応仁の乱の兵火により、又その後再建された社殿も江戸中期明和5年氏子中より募財して、3度目の造営がなされ今日に至る。
従前は皇室との関係が深く御崇敬を賜った。
明治に至り郷社の社格を受ける。古来山科十八郷中四宮、安朱、竹鼻の産土神として親しまれている。
諸羽神社由緒
人康親王の山荘跡にあったという琵琶石
磐座(いわくら)
神水井戸
御神木
天満宮 ・ 稲荷神社
天満宮常夜燈 ・ 稲荷神社常夜燈
本殿全景
拝殿内部 ・ 幣殿 ・ 神門
諸羽神社本殿
手水舎
拝殿
二の鳥居
一の鳥居に掛かる諸羽神社の扁額
一の鳥居
御神燈の建つ参道