東海道大津・京都間三里(約12㎞)の道には、物資を運送する牛車の通行を楽にするために、花崗岩の厚板石が敷き詰められていた。これが車石で、溝は牛車の頻繁な通行によって擦り削られて出来たものである。
 文化2年(1805)には、画期的な車石施設工事が行われ、歩車道分離が整備された。この付近は、京に向かって右側が車石の敷かれた車道で、左側は人や馬の通る人馬道であった。人馬道は、旅人の安全の確保のために、一段高く設けられていた。
 境内には、当時の状況を一部復元して保存している。

元禄2年(1689)和風句碑

東海道碑と車石

閑栖寺本堂

追分の 絵師もしらしな けさの春