御本尊は、昭和51年1月26日に、撤去工事中の唐橋の中央橋脚の基礎の地下から出現された石仏でありまして、同時に真鍮製の花筒と御仏飯の器が揃って出てきました。
 高さ38糎、彫の深い立派な石仏で、専門家の鑑定によると、室町末期の作で、腕の良い石工が彫った珍しい石仏だそうであります。何時、誰が、何のために唐橋の下に安置したものか知る由もないが、400年以上も川底で、唐橋を守り続けて来られた石仏であります。
 唐橋下より何か出現されると予言していた霊能者によると、この石仏は実は霊験あらたかな薬師如来である、橋守社のところへ唐橋の中央に向け小堂を建て、祀ってあげるとよいというので、県当局にその旨を述べ、一般の人々に解りやすく親しみ易いよう通称を、橋守地蔵としてお祀りすることになりました。
 よって有志相謀りこの地に地蔵堂を建立し、唐橋下より出現の26日を縁日としてお祀り申し上げ、永く唐橋の安泰と瀬田川並びに唐橋上の交通安全を祈願し、その縁起を記し掲げる次第であります。

裏面(俵藤太百足退治伝承の地)

 平安時代の武将で有名な俵藤太(藤原秀郷)が、百足を退治したというところ。藤太は瀬田橋を渡ろうとしたとき、百足の害で困っていた老翁の願いを聞き入れ、瀬田橋から三上山に住む大百足を弓で退治したという。

橋守地蔵縁起

橋守地蔵尊

瀬田の唐橋碑