長壽寺は僧良弁によって建立されたといわれ、聖武天皇の御子降誕により子安地蔵尊を安置する国宝寺院です。

東海道五十三次(石部) 田楽茶屋にて

東寺 長壽寺

西寺 常楽寺

 享禄年間(1528-31)に築城され、城主は石部久綱。 佐々木承禎と織田信長の戦いで、信長の家臣佐久間信盛に攻め込まれ、元亀元年(1570)落城し、3年後の天正元年(1573)に廃城した。
 貞享元年(1684)城跡の北側に建立されていた菩提寺を移転し、現在の善隆寺として一部石垣が残っている。(ここより南へ100m行ったあたり)
 石部氏は約40年間城主であった。
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芭蕉がこの地で詠んだ 「都つじいけて その陰に 干鱈さく女」 が記されている。

 京都の帯屋の主、長右衛門がお伊勢参りに行く途中で宿泊した石部宿の旅籠(出刃屋)で、丁稚の長吉に言い寄られるお半をかくまったことから二人は結ばれることとなった。
 しかし、妻のいる長右衛門との道ならぬ恋に苦しんだお半は死を選び、遺書を見た長右衛門もお半の後を追い心中を遂げる。この石部宿に伝わる悲恋の民話の舞台となった旅籠は、問屋場より西の方角にあったと言われている。
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 高札場とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所で、 現在の県道113号線(とんや道)と旧東海道の交差点の道路の中ほどのあたりで問屋場の横にあったと伝えられている。
 約80㎝程度の石垣の上にたっていた。
 元禄の頃は、みのや橋の横にあったが、いつの時代か問屋場の横に移転された。
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東屋

石部町説明碑

安眠米倉庫説明

お半長右衛門説明

石部城跡説明

高札場跡説明

 千手観音菩薩を本尊とする常楽寺は、金粛菩薩の開基といわれ、本堂と三重塔が国宝建造物です。

 石部町は、古くは東海道五十三次の51番目の宿場町として栄えた。
 明治22年4月1日に石部村、東寺村、西寺村の三ヶ村連合区域の統合によって、石部村として誕生。明治36年6月1日には、県下で12番目、甲賀郡では2番目の町制施行によって「石部町」となり、今日まで永い歴史が刻まれています。

 明治13年に服部善七氏により、安眠米(救済米)制度が創設されました。
 植付時に百姓は食べるものが無く、安眠米を一農家に一俵ずつ貸付、収穫時に年貢として5升をおさめ、その5升は教育費に充てられました。
 現在は、雨山文化運動公園内にある宿場の里に安眠米倉庫が再現されています。
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