国庁は律令という中国の律令制度にならって、天皇を中心とする統一国家を作ろうとしたころに、全国68ケ国にそれぞれ設置された役所で、近江国庁は奈良時代前半(今から約1300年前)に置かれ、平安時代後半(約800年前)まで存続したようです。
 ここでは都から派遣された国司(現在の知事のような役職)を中心として、徴税・裁判・軍事など今でいう県庁・警察署・裁判所・税務署として近江国の統治と都との連絡にあたっていました。
 国庁は、前殿・後殿と東西の脇殿という建物を中心に、門や築地などからなり、東西二町(約216m)、南北三町(約324m)の区画をいいます。また、その外側には九町(約972m)四方の広がりをもつ規格化された街路が広がっています。これを国府と言い、役所の所在する市街地にあたるものです。
 近江国庁は日本で初めて、古代の地方政治の中心地である国庁の全容が明らかになった遺跡です。
   滋賀県教育員会

近江国衙跡碑

近江国庁跡説明

近江国庁遺構モニュメント