ここはかつての日本五街道の最幹線で東海道と中仙道との分岐点である。 トンネルのできるまではこの上の川を越せば中仙道へ、右へ曲がれば東海道伊勢路へ行けた。 しかしこの地は草津宿のほぼ中心地で、この付近は追分とも言われ、高札場もあって旅人にとっては大切な目安でもあった。 多くの旅人が道に迷わぬよう、また旅の安全を祈って文化13年(1816)江戸大阪をはじめ、全国の問屋筋の人々の寄進によって建立されたもので、 高さは1丈4尺7寸(4.45m)で、火袋以上は銅製の立派な大燈籠であり、火袋以上は、たびたびの風害によって取り替えられたが、 宿場の名残りの少ない中にあって、常夜燈だけは今もかつての草津宿の名残りをとどめている。  
  昭和48年10月15日指定 草津市教育委員会 昭和51年贈 草津ライオンズクラブ

 この道標は、東海道と中山道が分岐合流する草津宿の要所に文化13年(1816)3月に建てられた火袋付の道標で、現在の高さは392.2㎝を測り、 江戸時代に東海道や中山道を行き交う多くの旅人の道しるべとなっていました。
 道標竿部南面に 「右 東海道いせみち」、西面に 「左 中仙道美のぢ」 と東海道、中山道の行先が刻まれています。
  また、基礎部北面、南面、西面に京都、大阪、尾張、岐阜などの飛脚問屋、宰領中や江戸、播州、備前の日雇方などの道標寄進者の名前がみられます。
 なお、草津4丁目の立木神社境内には延宝8年(1680)に、この草津追分に建てられた県内最古の道標があるほか、草津宿および草津宿周辺には多くの道標が残っています。
  平成20年3月31日 草津市教育委員会

追分道標常夜燈

道標解説

石造道標解説