東海道を往来する旅人の休憩場として江戸幕府によって立場茶屋が置かれた。
ここで供された食事は地元産の食材を使った菜飯と田楽で独特の風味を有し東海道の名物となった。
天明時代の当家の主人岡野五左衛門は 「岡笠山」 と号した文人画家である。 与野蕪村に師事し、その力量は 「よく師法を受け、筆神に入る」 と称賛され 「幕府の命に応じて揮毫し、将軍の覧に供す」 と記録されている。
作品には氏神の小槻大社へ奉納された大絵馬の外、地元にも数点の作品が残されている。
治田学区心をつなぐふるさと創生事業実行委員会
領界石 「従是西膳所領」
元伊勢屋跡説明
田楽発祥の地碑