東海道には一里ごとに距程標として一里塚が設けられていた。一里塚は道の両側に五間四方の塚の上に椋(むく)や松などの木立があった。
 目川村の一里塚は、現在の鎌田屋敷の東隅と、その向かいの旧北野屋敷の西隅にあり、椋の大木があったといわれ、当時の一里塚は、西は草津市野路に、東は六地蔵(梅の木)にあったといわれている。

目川ひょうたんの里

東海道一里塚碑

一里塚説明

草津宿まで半里

(右面)

(左面)

(正面)