御太刀大明神

稲荷神社本殿

里中大明神碑が建つ稲荷神社覆屋

稲荷神社の扁額が掛かる鳥居

井戸のある手水舎

拝殿

伝説が歌舞伎 「源平布引滝」 に・・
子供を守るため産んだのは手だけだと偽り助けた。(源平の戦いで有名な後の木曽義仲

愛宕神社

明治天皇御聖跡碑

境内奥に保存されているD51403号

手孕(てはらみ)ベンチの手のモニュメント

明治天皇手原御小休所碑

稲荷神社由緒碑

里中大明神 木造男神座像 (明応9年開眼)室町時代
 当社は栗東町手原に鎮座、稲倉魂神、素盞嗚尊、大市比売神を祭る。 寛元3年(1245)馬淵広政この地を領し勸請する。 子孫手原氏と称し代々当社を崇敬、文明3年(1471)同族の里内爲経社殿を修し、神域を拡張、天文4年(1535)手原重政武運を祈り尊崇を深める。 慶長17年(1612)宮城丹波守豊盛社殿を造営、貞享3年(1686)と享保8年(1723)に社殿の再建あり、明治2年改築、明治9年10月村社に列す、昭和61年修復工事を施行。 当社は里中稲荷大明神又笠松の宮とも称される。
 東海道名所記に 「左の方に稲荷の祠あり、老松ありて傘の如しなり、傘松の宮と言う」 と記され、江戸時代は傘松が有名であった。