愍念寺本堂解説
鐘楼
愍念寺の前身は文治元年(1185)に大澤幽順によって八島より移り平等山極楽寺(天台宗)を再興し、文亀元年(1501)10代目になる大澤房教西(金ヶ森道西の次男で当寺の養子となる)が、本願寺実如に帰依し、浄土真宗に改宗し一宇を建立して平等山愍念寺と改称した。その後、元和5年(1619)に寺地を現在地に移して再建したと伝える。
本堂の建立年代について明確な資料はないが、向拝の虹梁彫刻の様式が江戸時代中期の特徴を示しており、この頃に本堂が完成したと考えられる。本堂は間口5間に対して奥行が長い(7間)妻入りの平面。柱は面取り角柱、屋根は入母屋造の茅葺に見せかけた銅板葺(当初は茅葺)として地方の民家に近い外観を示す。
正面には一間の向拝が付く。向拝の柱上は虹梁を架けた大斗・桧様肘木を組み、中備に蛙股を置いて寺院風に造る。 (以下略)
手水舎
鼓楼
愍念寺本堂
愍念寺山門