鎌倉時代の中期、平重盛の末裔である小松宗定が、平氏追善のために信濃の善光寺に参詣すること48回におよび、満願の未明に善光寺如来が夢に現われ、「江州一円の衆生済度のため、我を連れ帰れ」 と告げられたことから、分身の阿弥陀如来像を請来し安置したのが新善光寺と云われる。

明治24年(1891)の常夜燈

是より一町餘

新善光寺道

為浄徳妙蓮菩提 施主今里村中