天正10年(1582)6月2日、明智光秀は主君織田信長の本能寺に攻めて自害させ、天下を奪ったが、山崎の合戦で秀吉に敗れ、その野望は消え失せた。
光秀の弟左馬之助光春は、信長の居城安土城を攻めていたが、兄の死を聞いて急ぎ坂本城へ引き返す途中、打出浜より路を湖水に求め、愛馬にまたがり琵琶湖を渡り坂本に帰った。
しかし、時すでに遅く秀吉の軍勢に囲まれ、6月14日、光秀の妻女らとともに、城と命運をともにした。
湖水渡りの勇姿は、今も講談などで語り継がれている。
琵琶湖に突き出た滋賀県立琵琶湖文化館
明智左馬之助湖水渡り解説
天正14年6月14日明智左馬之助碑