石坐神社は、天智天皇が琵琶湖の神様を祭祀したことに始まる。その創始は、天智天皇御代8年旧9月9日、神奈備山(御霊殿山)の磐座(いわくら)に湖中より燈籠が飛来し、御神託のまにまに小祠を建てて祭祀なされた。これを御霊殿神社と申し上げる。
持統天皇御代・朱鳥元年旧5月1日、粟津の王林の地・石坐野に、八大龍王宮と正雪天王宮との両殿が創建された。
八大龍王神とは、琵琶湖にゆかりの神様で龍神と伝えられ、わが国では、水徳の恵みの神で古来より両乞いの神・福寿の神としての信仰がある。
主祭神豊玉比古命は、人皇第一代神武天皇の御祖父神にあたり、産坐王は、産坐命と申し上げ、人皇代九代開化天皇の第三皇子・近江国造治田連の祖霊神であり、近江開拓の祖神に坐しまして八大龍王宮の御祭神である。
近江大津宮を開かせ給ひし天智天皇は、大友皇子(弘文天皇)・伊賀宅子媛(大友皇子御生母)と共に正雪天王宮の御祭神である。
稲荷社
御霊殿山遥拝所
推定樹齢800年の御神木「榎」
式内石坐神社社標
天保15年(1844)の常夜燈
石坐神社由緒
鳥居に掛かる石坐神社の扁額
弁財天社
石神社
三間社流造、屋根桧皮葺の文永3年(1266)の石坐神社本殿
鉄筋コンクリート造の拝殿
中門 (神門)
手水舎
石坐神社社標