見付とは近世城郭の門など、外と接し警備を行った場所をさす。
 この地が水口宿の東端すなわち 「江戸口」 となったのは、野洲川の川原に沿って通じていた東海道が、山手に付け替えられ宿の東部諸町が整備された慶長10年(1605)以降のことである。
 特に天和2年(1682)の水口藩成立以降は、水口はその城下ともなり、町の東西の入口は警備の施設も整えられた模様である。 享保年間(1716-36)作成の 「水口宿色絵図」 によると、桝形土居がめぐらされ、木戸や番所が置かれている。 「伊勢参宮名所図会」 (寛政9年刊)に描かれた町並みは、この辺りの風景を描いたものと考えられる。
  なお、西見付(京口)は宿の西端、林口五十鈴神社の南側にあった。

地蔵尊

水口宿マップ

東見付(江戸口)跡解説碑