東海道を近江から鈴鹿峠を越え伊勢に入った最初の宿場である。  
 貞和2年(1346)、京都醍醐寺三宝院の賢俊は伊勢参宮に赴いた折、「昼坂ノ下、夜垂水」  と記している (『賢悛日記』)。 同様に応永29年(1422)中原康富が、同31年に将軍足利義量が参宮にあたり当地で小休止し出立している (『康富記』『室町殿伊勢参宮記』)。 大永4年(1524)、連歌師宗長は 「その夜は坂の下の旅宿」 (『宗長手記』) とし、弘治3年(1557)4月と8月には山科言継が大竹屋孫太郎宿に泊まっていること (『言継卿記』) などから、少なくとも室町時代には宿として機能していたとみられる。
 しかし、慶安3年(1650)の大洪水で宿が壊滅し、翌年現在地に移転し復興された。 なお、かつての宿は片山神社下の谷間にあり 「古町」と呼ばれている。
 江戸時代には、東海道五十三次のうち48番目の宿場町として賑わいをみせ、東海道の難所である鈴鹿峠を控えて参勤交代の大名家の宿泊も多かった。 江戸時代後半には本陣3軒、脇本陣1軒、旅龍48軒を数える東海道有数の宿となり、『東海道名所図会』 には 「此宿の本陣家広くして世に名高し (中略) 海道第一の大家也」 とされるほどであった。
 しかし、明治23年(1890)関西鉄道の開通により通行者が激減したため宿場としての役割を終えた。
   平成19年3月  亀山市教育委員会

坂下宿説明

坂下集会所

松屋本陣跡碑