往古頓宮山より流れ出る水は谷川を下り、平坦部に達すると自然に流れ広がり、このため一度大雨になると市場村、大野村方面の水害は甚しかった。 大野村は水害を防ぐ手段として、江戸時代の初期より市場村との境に堤を築き、このため、間にはさまった市場村は、洪水時甚大な被害を受けることになった。
 元禄12年(1699)、市場村は排水路を堀割りし、野洲川に流すことを計画し、領主堀田豊前守に願い出て許可を受け、頓宮村境より、延長504間、 川幅4間の排水路工事に着工し、川敷地の提供から市場村民の総賦役により、元禄16年(1703)に完成した。  
  平成7年3月 土山町教育委員会

大日川に架かる昭和57年竣工の大日川橋

松並木と茶畑の反野畷

東海道反野畷碑碑と大日川橋掘割説明