前野保五郎は安永5年(1778)に頓宮村で生まれた。江戸時代には近江商人が北関東に赴いて醸造業を営むという事が多くあり、保五郎もまたそれらの近江商人の店で奉公した後、上野国(群馬県)伊勢崎で大阪屋という酒造店を開いて独立した。
この店は大いに繁盛し巨富を得たが、事業はそのまま伊勢崎で続けながら、文化年間(1804-17)には頓宮村にも家を構えて居住した。やがて庄屋も勤めるようになったが、頓宮村や隣の野上野村が水不足に苦しむ様を見かねて、未完であった野上野用水の完成に力を注いだ、1200両という巨額の私財を投じ、18年の歳月をかけて文政8年(1825)に総延長7.3㎞の用水を完成させた。
この用水により約2000㌶の水田が豊かに潤い、離村する者すらあった両村の困窮は解消された。この野上野用水は昭和32年の新用水完成まで利用されたが、保五郎なくては成されなかった事業として、末代まで伝えられるべきものである。
平成28年1月 土山の町並みを愛する会 甲賀市教育委員会
虫篭窓の付いた旧家
米屋の屋号を掛けた旧家
前野保五郎旧宅跡説明