国道北側の高台に見える森は、古代から中世にかけて、斎王の宿所にあてられた頓宮の跡である。
 斎王とは歴代天皇が即位するごとに、天皇の名代として、伊勢神宮の祭祀に奉仕するために遣わされた、未婚の内親王または女王のことで、天武天皇より後醍醐天皇までの約660年間に74人(異説あり)の斎王が任命された。
 伊勢に赴く斎王の行列(斎王群行)は、平安時代の仁和2年(886)に鈴鹿峠を越える新道(阿須波道)が開通したことで土山を通ることになり、京から伊勢までの5泊6日の行程で、勢多・甲賀・垂水・鈴鹿・壱志の5ヶ所に頓宮が設置された。
 昭和19年(1944)、地元で言い伝えられてきた土地が、垂水頓宮として国の史跡に指定された。斎王の制度が途絶えてからも地元住民は、「貴い所」 または 「御古址(おこし)」 と呼び、この地を大切に守ってきた。
 なお、「倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)」 には、倭姫命が伊勢神宮を開く前に、甲可日雲宮(こうかひくものみや)を設けて4年間滞在したとあり、その折に甲可翁(こうかのおきな)が高樋(たかひ)を設けて水を宮に引いて日々飲料水にあて、この高樋から垂れる水から 「垂水」 という地名が付けられたと言い伝えている。
 甲賀市教育委員会

左から歌声橋を通る道が合流する

国史跡垂水斎王頓宮跡説明

東海道案内図

 左側の狭い道が江戸時代の東海道で、明治13年(1880)3月1日に右側の道が出来て東海道の道路が変更された。