これは醍醐天皇の第四皇子重明親王の長女斎王微子女御の歌である。
 徴子女御は斎王として天慶元年(938)に僅か9歳で伊勢へ下向された。この時、ここ垂水頓宮に御宿泊なされ、また貞元2年(977)に斎王に卜定された娘である村上天皇の第四皇女則子内親王に母として付添い、49歳の時に再び伊勢群行に同行され、ここ垂水頓宮に2回目の宿泊をなされた節に、この歌を詠ぜられた。
 昭和58年6月 垂水頓宮史跡保存会

史蹟垂水頓宮址碑

斎王垂水頓宮址碑

世にふれは 又も越えけり鈴鹿山 昔の今に なるにやあるらむ

 ここ垂水斎王頓宮跡は、斎王が群行でお泊りになられたところである。斎王制度は、今から約1300年前制定されたもので、歴代天皇がご即位されるたびに、未婚の皇女または女王の中から占いで選び出された「斎王」を天皇のご名代・天照大神の御杖代として多くの神々をお祭りする制度であった。
 平安時代、仁和2年(885)京都から伊勢を結ぶ大道「阿須波道」ができ、翌886年平安京から5泊6日の群行となった。近江の国は勢多・甲賀・垂水、伊勢の国は鈴鹿・壱志の五カ所である。ここ垂水頓宮には378年間に31人の斎王が泊まられたという記録が残されている。
 斎王が宿泊された所を「頓宮」といい、仮の宮とか、にわかの宮を意味する。群行が行われるたびに建造され、終わるとすぐに解体されたので遺構が残らず所在地の限定に困難をきわめた。
 この垂水頓宮跡は、昭和10年に当時の内務省から派遣された学者たちが現地調査した結果、頓宮跡地であることが実証され、昭和19年には文部省より唯一の国史跡として指定された。現在は周りを囲う土手・井戸跡が残っている。
 また、平成10年から「あいの土山斎王群行」として群行を再現し、顕彰に努めている。
     史跡垂水頓宮跡保存会 

 ここ垂水の頓宮建立跡地は、平安時代の初期から鎌倉時代の中期頃まで、約380年間、31人の斎王が伊勢参行の途上に宿泊された頓宮が建立された所である。
 斎王とは、天皇が即位される度毎に、天皇のご名代として、皇祖である天照大神の御心霊の御杖代をつとめられる皇女・女王の方で、平安時代に新しく伊勢参道がつくられると、この道を斎王群行の形でご通行されることとなった。
 京都から伊勢までの斎宮まで、当時は5泊6日もかかり、その間、近江の国では勢多・甲賀・垂水の三ヶ所、伊勢の国では鈴鹿・一志の二ヶ所で、それぞれ一泊されて斎宮まで行かれたのである。その宿泊された仮の宮を頓宮といい、現在明確に検証されている頓宮跡地は、五ヶ所のうち、ただこの垂水頓宮だけである。
 平成5年3月 滋賀県教育委員会

史跡垂水斎王頓宮跡説明

伊勢神宮遷宮古材

垂水斎王頓宮跡説明