土山町は、平安時代に伊勢参宮道が鈴鹿峠をこえる旧東海道筋を通るようになって以来、難所を控える宿駅として発達してきた。
 源頼朝が幕府を鎌倉に開くと従来の京都中心の交通路は、京都と鎌倉とを結ぶ東西交通路線が一層重要視されるようになり、武士の往来のみならず商人、 庶民の通行も以前に増して盛んになった。 とくに江戸幕府は、伝馬制度を整備し、宿駅を全国的規模で設け、土山宿は、東海道五十三次の第49番目の宿駅に指定されてから、宿場町として真に隆盛しはじめた。
 宿場の主体をなしたのは御役町で、そこには公用人馬の継立てなどをつかさどる問屋場、公用者の宿泊などのための本陣、脇本陣やそのほか公用にあたるものが住み、 幕府は御役町の保護のために、地子の免除その他の特権を与えていた。 この御役町を中心に一般の旅人のための旅籠や店、茶屋などがあり、全体が街道のわきに細長く宿場町を形成していた。
  平成7年3月 土山町教育委員会

街道右手の旅籠常盤屋跡

土山宿案内図

東海道土山宿碑

万人講常夜燈

東海道土山宿説明

街道左手の旅籠竹屋跡