高桑闌更句碑

高桑闌更句碑解説

明治天皇聖跡碑

 土山宿の本陣は、土山氏文書の 「本陣宿の事」 によって、甲賀武士土山鹿之助の末裔土山氏と土山宿の豪商大黒屋立岡氏の両氏が勤めていたことがわかる。
 土山本陣は、寛永11年(1634)三代将軍家光が上洛の際設けたのがそのはじまりであるが、参勤交代制の施行以来諸大名の休泊者が増加し、 土山本陣のみでは収容しきれなくなり、土山宿の豪商大黒屋立岡氏に控本陣が指定された。
 大黒屋本陣の設立年代については、はっきりと判らないが、旅籠屋として繁盛した大黒屋が土山本陣の補佐宿となっている。 古地図によると、当本陣の規模は、土山本陣のように、門玄関、大広間、上段間をはじめ多数の間を具備し、宿場に壮観を与えるほどの広大な建築であることが想像できる。
  土山の町並みを愛する会 甲賀市教育委員会

弥生松

弥生松碑

大黒屋公園碑

大黒屋本陣解説

土山宿問屋場跡 ・ 大黒屋本陣跡

高札場跡

 作者 高桑闌更(たかくわらんこう) 俳人 享保11年(1726)~寛政10年(1798)
 加賀国金沢(石川県金沢市)に生まれる。 生家は屋号釣瓶屋という商家。 本名忠保(または正保)、通称は長次郎。
 俳諧を和田希因に学び、蕉風の復興に努め、与謝蕪村らとともに、俳諧中興に貢献。 後年、医を業としながら京都東山双林寺内に芭蕉像を安置する芭蕉堂を営む。 芭蕉関係の俳書を翻刻、注釈するなど功績をあげた。 俳風は温和高雅。 門下から桜井梅室や土山に縁のある虚白禅師等を輩出する。
 代表的な句集や編書に 「半化坊発句集」 「落葉考」 「芭蕉翁消息集」 「花の故事」 「深川集」 などがある。
   土山の町並みを愛する会 甲賀市教育委員会

土山や 唄にもうたふ はつしぐれ