この漢詩は、大正3年、佛教哲学者で有名なる井上圓了博士がたまたま、土山本陣跡に来られた時、 第十代の本陣職であった土山盛美氏が、この本陣について説明された中に、この本陣に明治天皇が明治元年9月22日の夜に一泊なされ、その日が偶然にも天皇即位最初の誕生日に当たり、
次の日この本陣で祝賀式が挙行され、祝として土山の住民全戸へ酒・肴を御下賜あった事を述べると、井上博士は非常に感激して、 即座にこの漢詩を書置かれたものである。
土山の町並みを愛する会
漢詩の読み
鈴鹿山の西に、古よりの駅亭あり。
秋風の一夜、鳳輿(ほうよ)停る。
維新の正に是、天長節なり。
恩賜の酒肴を今尚馨る。
土山駅先帝行在所即吟 井上圓了道人
明治天皇聖跡碑
井上圓了漢詩碑
漢詩の解説
土山宿(土山家)本陣跡
土山家本陣跡解説
土山宿は東海道49番目の宿場で、起点の江戸日本橋より約110里、終点の京三条大橋まで約15里の位置にある。
土山家本陣は寛永11年(1634)徳川三代将軍家光が上洛する際に設けられた。 現存する土山家文書の 「本陣職之事」 によれば、土山家の初代は甲賀武士土山鹿之助であり、三代目喜左衛門の時に初めて本陣を務めた。
本陣は当時の大名、旗本、幕府役人、勅使、公家等が休泊した所で、当家には当時使用されていた道具や宿帳など、貴重なものが今も数多く保存され、特に宿帳は江戸時代前期から連綿と書き記されており重要な資料である。
幕末から明治初期にかけては、宮家が東西の往来の途次、土山宿に休泊されることもあり、なかでも明治元年9月の明治天皇行幸の際には、この本陣で満16歳の誕生日を迎えられ、
近代日本としては初めての天長節が祝われた。 この時にには土山宿の住民に神酒と鯣(するめ)が下賜され、今なお土山の誇りとして語りつがれている。
幕末期に参勤交代がなくなり、さらに明治3年(1870)には本陣制度が廃止されたため、土山家本陣は十代目喜左衛門の時にその役目を終えた。
平成26年2月25日 土山の町並みを愛する会 甲賀市教育委員会
土山宿本陣跡碑