大名行列

大名行列

大名行列

 森鴎外が土山を訪れたのは、明治33年3月2日、祖父白仙の墓参のためである。
 白仙は、石見国津和野の藩医であった。 万延元年(1860)藩主の参勤交代に随行して江戸へ出向。 翌年5月帰国の際に発病し、遅れて国もとへ向かう。 途中11月7日、土山宿井筒屋にて急死した。 遺骸は常明寺の墓地に葬られ、津和野へは遺髪のみが届けられた。鴎外が生まれたのはその翌年である。
 鴎外は祖父への思慕深く、小倉在往時代、軍医部長会出席のため上京の途中、土山へ立ち寄り、無縁仏同様に荒れ果てている祖父の墓を探し当て、常明寺の境内に墓を修した。 寺を出て平野屋藤右衛門の家に投宿し、翌日三雲を経て東京へ向かった。
 明治39年祖母きよが、大正5年母ミネが没。 遺言により常明寺に葬られた。昭和8年、三人の墓は津和野永明寺へ移された。 現在常明寺境内には、鴎外の子孫が建立した供養塔が立っている。
  平成17年2月 土山の町並を愛する会

伝馬館

東海道の土山説明

復元された問屋場

復元された問屋場

文豪森鴎外来訪の地碑

森鴎外と土山説明