文豪森鴎外の祖父、森白仙は文久元年(1861)11月7日、ここ旅籠井筒屋で病死した。 森家は岩見国津和野藩主亀井家の典医として代々仕える家柄であり、白仙もまた江戸、長崎で漢学、蘭医学を修めた医師であった。
 万延元年(1860)藩主の参勤交代に従い江戸へ出向し、翌年5月に藩主は在府の任が解かれて帰国することとなったが、白仙は病のため随従することが出来なかった。 やむなく江戸で養生した後、10月になり2人の従者を伴って帰国の途についたが、長旅の疲れもあり、11月6日投宿した井筒屋で発病し、翌7日急死した。 遺骸はこの近くの河原の墓地に埋葬された。
 明治33年3月日、陸軍小倉師団の軍医部長であった鴎外は東京へ出張の途次にこの地を訪れ、荒れ果てていた白仙の墓を見かねて、南土山の常明寺に改葬を依頼した。 後に白仙の妻清子、娘のミネ(鴎外の母)の遺骨も常明寺に葬られたが、3人の墓碑は昭和28年に鴎外の眠る津和野永明寺に移葬された。
  平成27年1月 甲賀市教育委員会 土山の町並みを愛する会

森白仙説明

森白仙終焉の地 井筒屋跡