この高札の文章は、田村川橋 について、道中奉行所から出された規則(定め書)の内容が書かれているものです。
 この田村川橋ができるまでは、この橋から約600m程下流に川の渡り場がありましたが、大水が出るたびに溺れ死ぬ旅人が多く出たため、 その対応に土山宿の役人達をはじめ、宿の住民の苦労は大変なものでした。 また、川止めも再三あり、旅人を困らせていました。  そこで幕府の許可を得て、土山宿の人達が中心になりお金を集め、今までの東海道の道筋を変えて新しい道を造り、田村川木橋を架けることになりました。

  「この橋を渡ることができるのは、安永4年(1775)の閏月12月の23日からである。 (旧暦には閏月があり、この年は12月が2回続く) この橋を渡る時、幕府の用で通行する人達や、武家の家族が渡る時は無料である。 また、近村に住む百姓達の中、川向うに田畑があり、毎日橋を渡って生活しなければならない人達の渡り賃も無料である。 しかし、それ以外の住民および一般の旅人については1人につき3文、また荷物を馬に乗せて渡る荷主についても馬1頭につき3文、渡り賃を取ることになっている。 この規則は一時的なものでなく、橋があるかぎり永遠に続くものである。」

と書かれています。

復元された高札

高札解説