いの花や 早稲のもまるゝ 山越ろし

 猪鼻村は、鈴鹿山脈の西方に位置し、中世は鈴鹿山警固役であった山中氏の支配を受け、近世は幕府領や諸藩領となり幕末にいたる。
 村中を東海道が東西に5町36間余(約610m)、商いを営む者も多く、往時50戸を超え街道を賑わしていた。
 土山宿から坂下宿間の立場 (休憩所) があり、草餅や強飯が名物であった。 村高は、53石余 「天正19年(1591)徳川家康知行目録写」、おもな産業は農業で、製茶や林業も行われた。
 赤穂浪士の一人で俳人の大高源吾 (俳号は子葉) が旅の途中に詠んだ 「いの花や早稲のもまるゝ山越ろし」 の句碑がある。 井上士朗の 『幣袋』 に安永3年(1774)鈴鹿峠に向う途中で 「猪鼻峠といふ名のをかしければ、ゐのししの鼻吹き返せ青あらし・・・・」 とある。
 寺院は、臨済宗東福寺派の淨福寺、集落の東端には火頭古神社があり、本殿は十七世紀後半の造営とされ、国登録有形文化財となっている。
 明治22年猪鼻村は町村制により甲賀郡山内村大字猪鼻、昭和30年合併により甲賀郡土山町大字猪鼻、平成16年10月1日合併により甲賀市土山町猪鼻となる。  
   平成20月12月 土山町猪鼻区

 淨福寺は、天正年間(1573-91)に、僧洞成禅照大禅師が開基し、寺号は醫王山、臨済宗東福寺派に属する。
  本尊は、薬師如来座像で伝教大師の作仏といわれ、近江源氏である佐々木氏の守仏と伝わっている。 木造秘仏で右手は施無畏、左手に薬の壺を持ち、脇侍には左に日光菩薩、右に月光菩薩。 更に眷属十二神将が十二時かわるがわる本尊の守護に努めている。  
 薬師如来は、十二の大誓願を発して、除病延寿、衣食満足、無病息災の東方浄瑠璃浄土の主尊である。 (醫王山とは、法を説いて人の悩みを癒やす仏で菩薩を医師に例えた語です。)
 淨福寺の御詠歌 まいりきてめぐみをうけよ浄福の 薬師の利やくあらたなりけり  
  平成20年12月 土山町猪鼻区

浄福寺由緒

猪鼻村説明

浄福寺本堂

地蔵菩薩

大高源吾句碑

鐘楼