東海道から見ると鈴鹿川を挟んだ対岸に位置する標高289mの山である。
もともと岩根山と呼ばれていたが、室町期の画家狩野法眼元信がこの山を描こうと筆をとり、翌日描き残した分を続けようとしたところ、 雲や霞がたちこめ山の姿が全く変わってしまったため書き足すことができず、あきらめて筆を投げ捨てたことからこの名がついたと伝えられる。
江戸時代から名勝として世に知られ、東海道を往来する人々は、対岸の筆捨集落にある茶屋から四季折々の景色を楽しんだ。
歌川広重の保永堂版 『東海道五十三次 阪ノ下 筆捨山』 をはじめとして、浮世絵での坂下宿はほとんどが筆捨山を描いている。
浮世絵では山中に滝が描かれるが実際は筆捨山には滝は無く、近在の神大滝や岩屋観音の清滝の印象が盛り込まれているようである。
平成19年3月 亀山市教育委員会
筆捨山説明
山腹に見える奇岩
筆捨山