坂下宿は、東海道を近江国(滋賀県)から鈴鹿峠を越えて伊勢国(三重県)に入った最初の宿場である。
 大永4年(1524)、連歌師宗長は 「その夜は坂の下の旅宿」 (「宗長手記」) とし、弘治3年(1557)4月と8月には山科言継が大竹屋孫太郎宿に泊まっている こと (「言継卿記」) などから、少なくとも室町時代には宿として機能していたとみられる。
 このあたりは 「古町」 と呼ばれ、慶安3年(1650)9月の大洪水で宿場が壊滅するまで坂下宿のあった所である。 洪水後、坂下宿は約1km東に移転し、宿場集落として繁栄した。 なお、洪水以前の寛永14年(1637)に実施された 「勢州鈴鹿郡坂下村検地帳」 によれば、 坂下村全体で寺社のほかに111軒の人家があったとされる。  
今も所どころに石垣が残り、往時の面影が偲ばれる。

片山神社は、延喜式内社で、元は三子山に祭祀されていたが、火災により永仁2年(1294)に現在の場所に移された (「片山神社縁起」) とされる。 明治以前は 「鈴鹿明神」「鈴鹿権現」 と呼ばれ、「室町殿伊勢参宮記」 (応永31、1424)にも 「鈴鹿姫と申す小社の前に」 と記されている。
 東海道はこのあたりから 「鈴鹿坂八丁二十七曲り」 の急坂が始まり、「東の箱根峠、西の鈴鹿峠」 と言われた街道の難所、鈴鹿峠へと続く。
    平成24年3月  亀山市

伊勢参宮名所図会

宝永4年(1707)の南無阿弥陀仏名号碑

坂下宿~鈴鹿峠説明