一里塚とは、大きな道路の側に1里(約3.927km)毎に旅人の目印として設置した塚(土盛)である。
一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代である。慶長9年に江戸幕府は日本橋を起点として全国の街道に一里塚を設置するよう指令が出され、徳川幕府の命を受け、大久保長安の指揮のもとに行われ、10年程で完了した。塚の大きさは5間(約9m)四方、高さは一丈(約3m)で多くは榎が植えられ、木陰で旅人が休息をとれるよう配慮されていた。
この夏見の一里塚は江戸の日本橋から115里目の地点にあり、東の先は水口(泉)に、西の先は石部にそれぞれ一里塚があります。しかし、多くあった一里塚も明治以降は保護されず、道路の拡張や開発によってなくなり、そのまま残っているのはごく僅かで、この一里塚のように跡地を示すだけになっています。この写真は数少ない愛知県名古屋市にある笠寺一里塚で、このような塚がここにもあったと想像されます。
平成27年1月 三雲学区まちづくり協議会
一塚跡向かいの愛宕神社
夏見一里塚説明
道路脇に埋め込まれた夏見一里塚跡プレート