西往寺(浄土宗)は、吉祥山と号し、安土浄厳院の末寺であった。貞享2年(1685)8月19日に吉祥坊が中興し、明治以後知恩院に属す。
 石塔・石仏の造立が目立ってくるのは、鎌倉・室町期であるが、この頃より従来使用されてきた凝灰岩が後退し、花崗岩や安山岩などの硬い石材が用いられるようになった。
 鎌倉時代は、庶民信仰の中 「六道思想」 が定着してくる頃で、このことから地蔵尊像が盛んに造られた。一石六体地蔵尊は、このような初期の要求にこたえて造られたレリーフであろう。
 この地蔵尊は、素朴な中にたいへん気品があり、身光に相当する上部の空間とカーブのバランスが大変美しい。
 尊像は、縦73㎝、横1.48m、幅18㎝の自然石に、高さ48㎝に統一されて彫られている。
 平成5年3月 甲西町教育委員会

 三雲城は山の中腹(標高340m)の八丈岩付近に安土の観音寺城主佐々木六角高頼の逃げ込み用の本城として長亨2年(1488)三雲典膳に築かせた。
 しかし織田信長の京都侵攻で、信長の家臣佐久間信盛に攻撃を受け、元亀元年(1570)山裾にある三雲屋敷と共に落城した。
 城跡には石垣の枡形虎口や、石組の古井戸、八丈岩の背後の巨岩群の中に六角氏の家紋 「四つ目結」 が刻まれた岩も残っている。
  湖南市観光協会

三雲城址・八丈岩方向

三雲城跡道標と説明板

西往寺山門

水子地蔵尊

石造一石六体地蔵菩薩

石造一石六体地蔵菩薩解説

西往寺本堂

本堂に掛かる吉祥山の扁額

仏足石