推定樹齢750年の弘法杉

 旧東海道を横切る大沙川の堤上に、樹高26m、周囲6m、樹令約750年の杉がある。 この大杉を古来より弘法杉、または二本杉と人々はよんでいる。
 伝説によれば、もとは2本あって並立していたが、洪水のために堤防が崩壊して一樹は倒れたといわれている。 昔からこの地方の子どもが左手に箸を持って食事をするものは、この木の枝で箸を作って使用させると自然と右手で食事をするようになるといわれている。 そのために、下の方の枝はたいてい切り取られていたと伝えられている。
 一説によれば弘法大師(空海)がこの地方を通過した時、二本の木を植えたとも、また弘法大師が食事をしたあと杉箸を差しておいたのが芽を出したとの説がある。 その後、大風のために折れて朽ちたので里人が再び植えたが、安永2年(1773)の台風でそのうち1本が倒れたともいわれている。   平成6年3月 甲西町教育委員会

 大沙川は、旧東海道の上を流れる天井川です。奈良時代に奈良の仏教寺院や石山寺の造営時、この辺りの木々が切り倒されて禿山となり、大雨の毎に土砂が流れ、川底が上がり天井川になったと伝えられています。
 当時三雲地区には天井川が多く、大沙川、由良谷川、家棟川もそれぞれ旧東海道と交差してしていた。人々は、天井川に出会えば、土手を登り、小橋か浅瀬を渡って川越するという「人馬通行ノ難所タル衆人ノ熟知スルところ」であった。
 明治になると東海道を整備することとなり、その一環として天井川に隧道を掘って人馬の通行の便宜を図ることになり、明治17年3月に県下最初の道路トンネルとして築造された。
 全長16.4m、高さ4.6m、幅4.4m、半円アーチ形天井、壁は花崗岩の切石積みという立派で頑丈な構造で造られており、地元では「吉永のマンボ」と呼ばれ親しまれている。
 また、このトンネルの上には弘法大師の伝説で伝えられている樹齢750年の「弘法杉」が聳えている。   平成29年3月 三雲学区まちづくり協議会

弘法大師錫杖跡碑

弘法杉と弘法堂

弘法杉説明

隧道上の弘法堂内

大沙川の隧道説明