室町時代後期ごろ、佐々木六角氏は着々と力を蓄え、幕府を無視し始めたため、1487年に将軍足利義尚が軍を発し、六角勢と戦いが始まった。これを 「鈎の陣」 という。
 六角父子は甲賀へ移動し、甲賀53家(甲賀郡中惣)の武士達が山中でゲリラ戦や夜襲で幕府軍を苦しめ、3年にわたった戦いは終結、六角氏は生き残った。特に貢献した武者を 「甲賀21家」 と称した。しかし、1570年に織田信長に攻撃され、支配下に入ることとなる。
 「甲賀忍者」 は江戸時代に存在が広がっていったが、この 「鈎の陣」 の戦いが 「甲賀忍者」 と呼ばれる原点である。
 因みに、湖西市の甲賀53家は、三雲、宮島、夏見、針、岩根、鵜飼、服部、青木、内貴の9家があった。

三雲城址の幟が立つ休憩所

壁面に貼られた看板

戦国時代の六角と甲賀武者

ようこそ三雲城址へ
猿飛佐助甲賀流忍者の里