御堂に掛かる梵字不動尊の扁額

不動堂

稲荷神社

秋葉社

弁財天

祇園社

そもそも、当社の創祠は後一条天皇の御宇、治安3年、時の別当が、泉村人の祈願所泉福寺の護法神として、坂本日吉大社山王十禅師権現の御分霊を、勧請したことに始まる。 爾来、泉邑住民の鎮守神として祀られ、往古は山王様十禅師様と呼ばれていたが、明治4年藤木神社として社名を改める。 戦後、社宝狛犬の銘文に基ずき、日吉神社と再び社名を改め、神域を整え拝殿を建立、子供神輿を献備し、いよいよ氏神としての形態を整えるに至った。  日吉神社由緒碑より

泉福寺山門

山門に掛かる宝珠山の扁額

手水舎

日吉神社本殿

日吉神社拝殿

日吉神社鳥居

神明社

水口の名木・古木のカヤ

役行者像

宝篋印塔

本尊そのままの地蔵菩薩半跏像

 当寺は、弘仁4年(813)伝教大師最澄の開創によるもので、昔は泉寺とも延命院とも言い、数坊を擁したと伝えられる。
 天正年間の兵火により、堂宇はことごとく焼失したが、地蔵菩薩坐像は災禍を免れ、20余年後の慶長10年(1605)、本堂再建に当り本尊として安置され、以来泉の祈願寺として現今に至っている。
 本尊地蔵菩薩坐像は国の重要文化財であり、厨子の中に秘仏として安置され、子安延命地蔵として信仰を集めている。尚、本堂前の水子やすらぎ地蔵尊は、本尊そのままを表したものである。
 本尊の両側に不動明王と毘沙門天が配され、脇壇の四天王は平安期の作、また書院横の庭園は江戸後期の作庭と云われる。
  本尊木造地蔵菩薩坐像
 法量4尺(1.2m)の半跏像で檜材による寄木造、右足を内に曲げ左足を踏み下げている。丸顔の穏やかな表情、柔らかな肉付きに趣がある。寺伝では定朝作とするが、その様式から鎌倉時代の作と考えられる。 水口町

泉福寺由緒碑

泉福寺本堂

本堂に掛かる泉福寺の扁額