東海道が一直線にのびるこの辺りは、江戸時代 「北脇縄手」 と呼ばれた。 縄手(畷)とは田の中の道のことで、東海道の整備にともない曲りくねっていた旧伊勢大路を廃し、見通しの良い道路としたことにちなむと考えられる。 江戸時代、東海道の両側は土手になり松並木があった。 街道は近隣の村々に掃除場所が割り当てられ、美しさが保たれていた。 旅人は松の木蔭に涼を取り、旅の疲れを休めたといわれている。
男女双体道祖神
北脇縄手と松並木碑
北脇縄手