当神社の創めは白鳳元年(673)に、日吉宮と称して大己貴命をお祀りしていた。この山王の社地に、建久年間(1190-99)源頼朝が上洛の折、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を合祀し社名を若宮八幡宮とした。多くの神田が寄進された。中世、近世に亘り京都の公家飛鳥井大納言は、荘園として柏木御厨を営み、その縁をもって末裔は当神社の社家として仕えた。また、当神社はこの柏木御厨の惣社として神田三町分を有し、その影響は周辺16ヶ村に及んだ。天正8年(1580)織田信長の軍勢が当地を攻めた時、楼門は安土の惣見寺に移築され、銘木は持ち去られ、宝物古文書と主要建物は焼失した。寛永9年(1632)に水口碧水城が築城された期に、城主加藤氏が当社を守護神として崇め、以後歴代城主の祈願所となった。承応4年(1655)水口城代の山口但馬守は、本殿、楼門を修復し、石燈籠、手水鉢を寄進した。明治4年、社名を御厨の地名を採り柏木神社と改めた。昭和20年、旧社格の県社に昇格した。

柏木神社鳥居

太鼓橋の神橋

社叢に覆われた参道

御厨の稲藁が納められている

稲荷神社

大行社

柏木神社本殿

柏木神社由緒

本殿に掛かる柏木神社の扁額

柏木神社拝殿

中門(神門)

拝殿に掛かる柏木神社の扁額

手水舎

楼門の神門

神門に掛かる柏木神社の扁額