小坂町に百間長屋がありました。 百間長屋はお城の郭内の武家地にあり、百間(約180m)の棟割長屋には、下級武士たちが隣り合って住んでいました。 南側 (郭内) に玄関があり、東海道に面した北側は出入り口がなく、町場とは自由に往来が出来ませんでした。 これは敵が攻めてきた時に郭内の城・藩邸を防御する役割を果たしたのです。 長屋には往来に向かって小さな高窓があり、これを与力窓といいます。 買い物などはこの窓から首を出して東海道を往来する物売りにヒモをつけたざる等に銭を入れ、その銭に見合う品物をざるに入れてもらってそれを引き上げる方法で買い物をしました。 明治初期の絵地図によると21軒が明記されています。(説明板より)

稲荷神社

正一位稲荷大明神

北邸町標石

江戸時代後期の様子

昭和30年頃の様子

昭和50年頃の様子