東海道五十三次 水口宿 名物干瓢
曳山を模したからくり時計台
歌川広重画
三筋の町道標
秋葉山常夜燈
天下を握った家康は、慶長6年(1601)東海道を整備し、53の宿駅を置いて公用輸送を確立、この時水口も宿駅となりました。 宿場は、町数27、家数718と発展、俳聖芭蕉も逗留し
「命二つのなかに生たる桜かな」 の句を残しています。 庶民の旅が盛んとなった江戸後期には40余の旅籠と本陣・脇本陣があって客引きで賑わいました。
宿場名物には干瓢・葛細工・煙管・泥鰌汁等があり、夏の風物詩 「かんぴょう干し風景」 は歌川広重の浮世絵によって広く世間に知られました。
宿場町の水口説明
秋葉神社