旅籠町碑
曳山蔵説明
水口神社の春祭りで、江戸時代中期の享保年間(1716-35)に宿場町であり城下町であった水口の活力を背景に、町民の力によって創り出された近江東南部を代表する都市型祭礼祭。賑やかな曳山巡行と江戸祭り囃子の流れをくむ 「水口囃子」 で知られます。
慶長6年(1601)作坂町と共に伝馬町に指定された。南は野洲川の河原へ続き、町のうち南裏通り一帯を川岸と称した。東端南側に伝馬会所があった。
水口の曳山は享保20年(1735)に9基の曳山が巡行し、その後、一町ごとに曳山が建造されるようになり、その数30基余りに達したと言われている。当地の曳山は 「二層露天式人形屋台」 という構造をもち、複雑な彫刻、華やかな幕を飾り付けて巡行し、巡行後は組上がったまま、各町内に建てられている 「山蔵」 に収納されている。
旅籠町の曳山