この日雲宮は、皆さんから「神明さん」と親しまれていますが、詳しい資料は残されていません。
 江戸時代の記録には、水口三箇村(東村・速玉、中村・神明、西村・弟殿)の氏神として記録されています。本殿の箱棟の菊の御紋、神明鳥居、社前が旧伊賀街道と旧信楽道の分岐点で往時の賑わいを物語る自然石の道標が南西角に現存しています。
 今から2千年程の昔、垂仁天皇は皇女の倭姫命に天照大神を祀る聖地を定める大任を与えました。倭姫命は大和より近江に入り4年間、淡海甲可の日雲宮に居住されたといわれています。
 往古は境内周囲に樹木繁茂し、境内は三町余りと伝えられ、東南の神ノ木という地に猿田彦神を祀る社があり、日雲宮の御旅所とされていました。氏子は旧水口の十町内で戸数120戸程で年間に納涼祭・後宴祭・新嘗祭・歳旦祭・新年祭を催行し、氏子青年部の活動も見られる地域の氏神様です。

日雲宮由緒

日雲宮本殿

井戸のある手水舎