布気皇舘太神社社標

布気皇舘太神社由緒

 延喜式巻九 「伊勢国鈴鹿郡十九座並小布気神社」 とあり、垂仁天皇18年の創始にかかる式内社です。
 社名の皇舘とは、垂仁天皇の御宇、天照大御神が忍山に御還幸の折、大比古命が神田・神戸を献じたことに由来し、野尻、落針、太岡寺、山下、木下、小野、鷲山の七か村を神戸郷といいました。
 九々五集巻第六上には、「高野大神宮 関氏より続て亀山御城主御氏神三社之内 神辺七郷惣社ノ宮(略)宮地長八十間横百間」 とあり、また同書の巻第九の巻末に記述の 「舘殿御由来」 には 「抑勢州鈴鹿郡神戸庄皇舘多賀ノ宮は皇受皇太神宮の荒魂の御神なり 夫レ神戸と申侍るは 人王十代崇神天皇七かのへ寅歳奉勅命て 諸国所々に御舘を改め 其郡の宗廟として荒魂の御神を社の神戸なり」 とあります。
 布気皇舘太神社は、時代によっていろいろな名で村人に親しまれたが、明治41年近郷の小社・小祠を合祀し、現在の社名となりました。

境内社

布気皇舘太神社本殿

拝殿内部

一の鳥居の先に並ぶ石燈籠

二の鳥居の先にも石灯籠が並ぶ

手水舎

布気皇舘太神社拝殿