亀山宿の西端、西町と野村の境を流れる滝川左岸の崖上に築かれた門である。 『九々五集』 によれば、亀山藩主板倉重常によって寛文12年(1672)に完成したとされる。
翌延宝元年(1673)に東町に築かれた江戸口門とともに亀山城総構の城門として位置付けられ、両門の建設によって東海道が貫通する城下の東西が画された。
京口門は石垣に冠木門・棟門・白壁の番所を構え、通行人の監視にあたっていた。 また、門へ通じる坂道は左右に屈曲し、道の両脇にはカラタチが植えられ不意の侵入を防いだとされる。
大正3年、京口橋が掛けられたことで坂道を登る道筋は途絶えてしまったが、往時は坂の下から見上げると、門・番所がそびえる姿が壮麗であったことから、
亀山に過ぎたるものの二つあり伊勢屋蘇鉄に京口御門
と謡われるほどであった。
歌川広重 「東海道五拾三次」 のうち 『雪晴』 をはじめとする風景画の舞台として著名である。 平成28年3月 亀山市
京口門跡解説
明治初年頃の京口門古写真
大正3年の京口橋
橋下や左奥に旧東海道が見える