この石柱は昔、日永の神宮遥拝鳥居の傍に立てられていた道標である。
 この道標には、正面に 「大神宮 いせおいわけ」、右側面に 「京」、 左側面に 「山田」、そして裏面には 「明暦二丙申三月吉日 南無阿弥陀仏 専心」 と刻まれている。
 この道標が立てられた明暦2年(1656)といえば、神宮遥拝鳥居が建立されたときよりも約120年も前であり、東海道における最古の道標としても貴重なものである。
 更に立てた人がお坊さんであること、そして南無阿弥陀仏と彫られていることも興味のあることである。
 嘉永2年(1849)神宮遥拝鳥居の脇に現在の立派な道標が立てられとき、この小さな道標が不要になり、近くにあった追分神明社の境内に移され、その後、明治40年には追分神明社が日永神社に合祀された際に、道標も一緒にここに持って来られたものと推定される。

追分道標説明

拝殿内部

追分道標

拝殿に掛かる日永神社の扁額

日永神社拝殿

鳥居の先に延びる参道

阿形の狛犬

日永神社の神明系鳥居

吽形の狛犬

皇大神宮遥拝所

明和元年(1764)の手水石

手水舎

 当社は伊勢の神宮で祀られる天照大御神を祀る。 古くは南市場神明社・南神明社と呼ばれた。日永神社と単称されたのは明治40年からである。 創祀・沿革の記録や文章も残されておらず、いつの年代に創祀されたのか不明である。
 江戸時代には、神戸藩主本多家からの崇敬も篤く、また東海道に面して多くの人々が参拝された。 明治40年には日吉神社・岡山白髭社・山之神社、さらに天正10年(1582)に創始されたと伝えられる追分神明社を合祀し、明治44年には池鯉鮒社・稲荷社を合祀して現在に至っている。 例祭は10月の体育の日である。
 以前は拝殿の右側に松の老木があり、国難があると樹皮が変色して人々を驚かせ、神木として崇められていたと言い伝えられているが、その木は今はない。
 なお正面の拝殿右側に立つ道標は、もと追分の神宮遥拝鳥居の場所にあったもので、明暦2年(1656)に僧侶によって立てられた東海道最古の道標である。

日永神社由緒