問屋場とは、江戸時代の各宿において、主に公用の荷物などを運ぶ伝馬人足の継ぎ立てのほか、一般の商品物資などの継ぎ立て業務を行う施設で、町の重役である宿役人がこれを受け持った。
東町と西町からなる亀山宿では、代々宿役人であった東町の樋口家(本陣の家)と西町の若林家(家業は米問屋)が、10日あるいは20日程の期間で定期的に交代しながら宿継ぎの問屋業務を担当している。
現在、西町の問屋場跡は、後世の道路改良などにより厳密に比定することは難しいが、享和3年(1803)の 「亀山領内東海道分間絵図」(亀山市指定文化財・伊藤容子氏蔵)
や文化4年(1807)の 「伊勢国鈴鹿郡亀山宿之図」(亀山市歴史博物館蔵)、文久3年(1863)の 「宿内軒別書上帳」(亀山市歴史博物館蔵)
から、概ねこの辺りに宿役人若林家の屋敷や借家、問屋場が並んでいたことが確認できる。
なお、元治2年(1865)には、若林家の借家や問屋場などは、日野屋に譲り渡されている。(亀山市歴史博物館田中稲造氏寄託資料)
平成15年10月亀山市教育委員会
問屋場跡脇の東屋
問屋場跡前の宿並み
西町問屋場跡説明