元禄3年(1690)、東海道から神戸・白子・若松(鈴鹿市)方面への分岐に建てられた道標である。 正面に 「従是神戸白子若松道」、左側面に 「元禄三庚午年正月吉辰施主度会益保」 と刻まれている。
  「東海道分間延絵図」(文化年間・19世紀初頭) には、「脇道神戸城下町江二里半、白子町江三里、若松邑江三里三十四町」 とあり、 亀山城下から亀山領若松港へいたる重要な分岐点であった。
 県内東海道の在銘道標の中で最も古いものである。
    平成21年3月 亀山市教育委員会

従是神戸白子若松道

元禄三庚午年正月吉辰施主度会益保

和田道標説明